【ゆっくり解説】肉じゃがの歴史(16世紀~昭和時代)
#ゆっくり解説 #雑学 #肉じゃが
肉じゃがのルーツについて、じゃがいもがどうやって(ヨーロッパと日本の)人類に受け入れられていったのか、いつ肉と合流したのか、から解説しています。
甘煮≠肉じゃが みたいなことをほざいてますが、甘煮の味付けが絶対的な基盤になっているので、全否定はできないなと思います。
あと、こんにゃくも糸こんにゃくかもしれませんからね。
江戸時代までは調理に砂糖は使われることなく、甘煮が一般に食べられることはありませんでした。なぜなら砂糖が貴重すぎたから。
饅頭などお菓子に使い、甘さを噛みしめ酔いしれることはあっても、醤油と組み合わせてご飯のおかずにしちゃえ、という冒涜的な発想はなかったと思われます。
甘煮と書いてうまにと読む、のもここら辺が由来でしょうか。
おふくろが作っていないのに「おふくろの味」の時代があり、そこを越えて「おふくろ」ではなく「お父さん」や「お母さん」の味だけでなく「スーパー」や「居酒屋の味」になった肉じゃが。
意外と煮物系って美味しく作るの難しいですよね。
家庭の味って何だ。
【参考文献】
「肉じゃがは謎がイッパイなのだ!」(小学館文庫)三本章
26 Comments
男爵芋は久しく食べてないですね。メイクイーンが最近の主流ですので。
昭和50年生まれですがまさか肉じゃがと同い年とは。
作り方は土井善晴先生に教えて貰いたいですね。
昭和40~50年代の家庭では肉じゃがが良く食べられていたから、その世代から「お袋の味」的な地位を獲得したのかも?
肉じゃがなら、白滝が良いな!
冬に植え付けて、初夏にとれる新じゃがだったら、今年の米やさつまいもが採れるまでのつなぎとしての需要があったのかもしれないけど、どうだったのだろうか。
肉じゃが・・・大した事無いだろうなぁと思ってましたが、今回も凄く楽しかったです。
肉じゃがは、ご飯と酒のどちらでも合うから凄い。
父親が肉じゃがだけは自分で作っていた。
始まりから作る終えるまで台所から離れない笑
一品しか作らないくせに笑
肉じゃがだけはお父さんが作る方が美味しいヨ❤と言いながらたっぷりお裾分けしてもらうのまでがお約束の流れでした。
私の肉じゃがの食べ方
まず大量の肉じゃがを作ります→それの1/3を食べます→残りを水と牛乳と小麦粉でシチウにして1/2を食べます→残りにカレイ粉を加えて食します。
ん?50年前には肉じゃが食べてたぞ。
実家は新しい物好きだったからか?
あた、メイクイーンで昆布巻き作ると美味しいです。
昆布は棹前か貝殻島産がお勧め…
おかずです
馬鈴薯は花が咲き種が出来、種からだと五年種芋からなら一年らしい。
生物的には種からだが、効率的なら種芋。種から作った事はないがな。
肉じゃがって、明治期のカレーからの亜種だと思っていましたが、実は認知されて50年もしない料理だったとは!
最近は、「インカのめざめ」とか、甘いジャガイモの品種も出てきてますから、ジャガイモ人気がもっと高まると良いなぁ。
カレーを食べて美味かったから家の料理人に言って作らせて出来たのが肉じゃがって話、デマだったのか…
川越芋=さつまいも
沖縄=アグーの餌 さつまいも 豚の餌😂
※嗚呼美味しいですよね!肉じゃが等の煮込み料理は何でも戴きますよ?
今回は魔理沙さんが買い出しで、霊夢さんが調理の準備に取り掛かる役なのですね!
ウチでは豚汁も戴くので、此の二種類は切っても切れない定番メニューなのですよね!
肉じゃがでご飯は食えないのよ
肉じゃがってそんなに新しい料理だったんか…
そしたら同じく肉の入った筑前煮もわりかし新しめだったり⁇
昭和47年には 小学校の給食で肉じゃが が出てきて
現代の日本全国で見る、肉じゃがと同じ形態、同じ味 だったから給食から普及したのでは?
当時は外食は殆どなく、親に給食で食べたアレを作ってとねだる事が多かった
信長のシェフでもあったな牛糞をさも高価で素晴らしい風に見せて使わせようとするやつこの話がモデルか
言われてみればみりんと醤油はともかく砂糖は戦前に調達するの難しそうだな
同じ理由で親子丼も意外と最近なのかな
カレーは家庭によりぜんぜん違い、肉じゃがは地方によりぜんぜん違う、自分は博多と宮崎の肉じゃがが好きだ。
ウチは肉じゃが
手羽元だったなぁ
私が小学3〜5年生、昭和49〜51年。栄養士でもあった母が購読していたのがNHKのテキスト本「きょうの料理」。これで肉じゃがを見た覚えがあります。
個人的には肉は合挽きで甘めの濃いめ。
煮崩れたじゃがいもととろけた玉ねぎと絡んだ合挽き肉。
これをご飯にかけて食べるのが好きです。